ガラス雑学 6−1 ボヘミアン・グラス
現在のチェコ及びスロバキアの地域には、ケルト人やゲルマン人が紀元前後に移住していたようですが、
(「ボヘミア」という地名は、ケルト一派・ボイイ人が残したと言われています。)5、6世紀頃には、チェコ人
の先祖となる西スラブ系民族が移住して勢力を強め、ボヘミアやモラヴィア地方に定着します。
 
彼等は9世紀に、大モラビア(モラヴィア)王国を建設します。
この王国では土着文化の育成に力を入れ、豊富な地下資源と農産物によって豊かな国家を形成してい
ました。
 
一方、この頃のガラス工芸はというと、ビーズ類の生産はしていたものの、器等の生産・輸入は行われて
いなかったようです。
その後、この大モラビア王国はマジャール族(ハンガリー人)に滅亡されるのですが、9世紀末にプシェミス
ル家の聖バーツラフ2世がボヘミア王国を立てます。
 
そして、オタカール2世(在位1253−1278)の時代に黄金期を迎え、この辺りから、本格的なガラス工芸
がスタートします。
 
オタカール2世は積極的に地下資源の開発を行い、ヨーロッパ随一の銀生産国となりました。
この銀を目当てに、各国の交易商人がボヘミアを訪れたのですが、中でもベネチア(ヴェネチア)との交易に
特別な優遇処置を与えていました。
 
当時のベネチアは、ムラーノ島への強制移住(1291年)させる前であったので、ベネチア及びアルターレの
ガラス職人達が移住し、窯を築いた可能性があり、またこれより先の10世紀にキリスト教を受容したため、
東ローマ帝国の文物や技術が導入されました。
当然、ガラス技術も含まれていたでしょうし、ガラス職人の移住もあったのでないかと考えられます。
実際に出土した、この当時の物と思われるガラスには、ビサンチン(東ローマ帝国)ガラスの影響を受けたと
思われる、小突起模様(種付け)があるそうです。
 
14世紀に入ると、カレル1世(神聖ローマ帝国カレル4世)が、ボヘミア王国の国王を兼任、神聖ローマ帝国
の首都がプラハに移され絶頂期を迎えます。
 
この時、ベネチアとの交易は一層強化され、ベネチア商品はプラハを経由し東方へ交易を行う事や、ボヘミア
王国の金銀貨の国外持ち出し許可、ベネチア商人用の居留地を与える事等、が決定されました。
これにより、ベネチアのガラス技術が本格的に導入されていきます。
 
【ボヘミアン・クリスタルの誕生】
15、6世紀になると、東ローマ帝国の滅亡もあり、ますますベネチアのガラスがボヘミアのガラスに影響を及
ぼしていきます。
 
この頃のボヘミアは、その他のヨーロッパ各国と同様に、イタリア人職人を積極的に雇い入れたようですが、
彼等の最大の懸案はガラス原料となるソーダ灰の入手が困難な事でした。
 
この当時、ソーダ灰をジェノバから輸入していたのですが、ボヘミアまでの輸入ルート上には、ロカルノ、イン
スブルッグ、ウィーン等にガラス窯があり、彼等による輸送の妨害や略奪などにより、支障をきたしていました。
そのためボヘミアでは、シレジアの高地を覆っていた豊かな森林を伐採し木灰を作り、これをソーダ原料に充
てたところ、とてつもない結果が得られました。
 
それは、ナトリウム分を主成分とする従来のソーダ灰よりも、カリウム分を主成分とする木灰は、ガラスの透明
度を高め、屈曲率をUPさせるという性質が確認されたのです。
これをボヘミアン・クリスタル(カリガラス)といい、16世紀末頃から従来のソーダ灰から変更されていきました。
 
 

【ボヘミアングラスの始まり】

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